高校を卒業して、僕は「診療放射線技師」になるため、専門学校へ進学しました。

 

理由は僕は昔にイジメにあった経験から、

「将来は人を笑顔にさせ、人の苦しみを少しでも和らげてあげれる仕事がしたい」

そう思い医療系の道に進むことを実は中学生の時から決めていました。

 

その中でも、色々な機器を扱える「診療放射線技師」の仕事に興味があったので、迷わずその道に行くことを決めていました。

 

◎学業で初めての挫折

専門学校に入学して最初に経験した事は

・高校生気分でいると一気に授業についていけなくなる

・初日から専門用語が飛び交い、授業の内容が全く理解できない

・実験も大量にあるので、レポートを仕上げるのに時間がかかるので休日がない

 

以上の内容が一気に押し寄せてきたので、ここで学業で一気に挫折しそうになりました。

 

僕は、頭が良いほうじゃなかったので、成績は常に中の下をさまよっている感じでした。
しかし、友達と協力して何とか乗り切ることができ、ついに卒業試験までこぎつけました。

 

しかし...

 

◎初めての挫折

卒業試験。これに受かれば卒業決定。
そして国家試験に進め、合格すれば晴れて放射線技師として社会に飛び出す。

60点以上さえ取れたら大丈夫。そう自分に言いきかせて試験をこなしていきました。

 

そして試験の合格発表の日。結果は

58点

見事に不合格、そして卒業延期=留年が決定しました。

 

◎挫折から復活、そして社会へ飛び出す。

留年が決まってから次の卒業試験までの1年間は、とにかく今の実力を落とさないように維持することに集中しました。

 

その日から狂ったように勉強し始めました。

1日朝の9時から夜の21時まで学校でひたすら友達と勉強。休日は友達の家へ集まり、勉強。

 

とにかく勉強に時間を費やしました。

 

◎2度目の卒業試験、結果は?

ついに2度目の卒業試験を迎えました。

 

結果は、70点合格!

ついに卒業が決定し、続く国家試験も一発合格。
勢いのまま、一気に栄光を掴みました。

 

そして、放射線技師としていよいよ社会に飛び出すのでした。

この時は、まだ自分が狂乱の日々を過ごすことは知る由もありませんでした。

 

◎人の命に関わる仕事の現実

放射線技師として社会人生活をスタートした僕は、ある救急病院へ常勤として働くことになりました。

 

そこで思い知ったのは、やはり人の命に関わる現場ですから、常に緊張感が漂い、ミスは絶対に許されないという極限のプレッシャーの中で仕事をこなしていかなければならない自分の想像を超える過酷な現場だということでした。

 

当直業務もこなすようになると、日勤が終わった後に当直に入るシフトだったので、実質的には、24時間まるまる働くという環境になっていました。

 

当直中も患者がひっきりなしに来た場合は、一睡もできずに、ただひたすら仕事をする状態になることが多々あります。

 

僕も経験したのですが、その時の精神状態は、とても悲惨な状態になります。

 

仮眠が取れる時間ができても、体は悲鳴を上げているのに、頭がアドレナリンが出っぱなしの状態なので、全然眠気が起きず、体を休めることができない状態になっています。

 

しかし、いざ仕事をしようとすると、頭は冴えているのに、体がフラフラしてたまに力が入らない時があります。

 

そして次第に頭がボーっとしてきて集中力が極端に落ちたりします。

しかしそこは、エナジードリンクを飲みながら乗り越えるしかないんですね。

 

僕はその時は、レッドブルを一気に2本飲んだりしていました。

明らかに異常ですよね 笑。

 

しかしそれが当たり前の状態になるんです。

 

今思えば、非常に危険な状態で体に鞭を打ちながら仕事をしていたんだなと思いました。

 

医療事故を起こさなかったのは奇跡としかいいようがなかった感じです。

 

しかし患者の命を助けるために、自分達が休むことが許されないのが医療の現場というものです。

 

当時僕が切実に思ったのが、

「サラリーマンをやっているほうがよっぽど楽な気がするやん」

という風に思っていました。

 

そう思うぐらい、医療の現場は過酷な現場だということです。

 

その頃から僕にはいろいろ疑問が出てくることになりました。

「これが自分が本当に目指していた仕事なのか?」

「これって、いつ自分が死んでもおかしくないよな?」

「これでは、自分の人生はめちゃくちゃになるんじゃないか」

 

そんなことを思うようになってからは、毎日の生活に息苦しさを感じるようになっていきました。

 

 

 

 

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